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オーストラリアのパースの魅力 都市の変遷 [思い出の都市]

オーストラリア大陸

オーストラリアの歴史は、1770年科学調査のために南太平洋を航海していた、英国人ジェームズ・クックが、現在のオーストラリアを英国領と宣言、流刑地のための大陸として歴史がはじまった。現在も国の元首はイギリスの女王エリザベス。


「Perthの魅力」

わかりやすい街
オーストラリアで一番大きな州、Western Australiaの州の人口約200万人の中、パースには約150万人が住む。シドニーに比べ、こじんまりとしたわかりやすい、住みやすい街。世界で住みやすい街として、とりあげられたことは分かる。

 生活に必要な施設は整ってはいるが、特別に大きなデパート、レジャー施設などがあるわけでもない。しっかりした文化施設、無料のバスなど交通機関も充実している。少し離れてはいるが、愉しめる場所はある。シドニーにいるときのように、時間に流されるのでなく、ゆっくり、ときの流れを感じられる街がパースの魅力。それが、Kevin LynchのいうLegibility(わかりやすさ)なのだろうか?わかりやすい都市とは、その中の地域とか目印とか道路などがたやすく見分けられ、しかもたやすく全体的なパターンへとまとめられるものであろう(リンチの都市のイメージ/丹下健三訳)。


街の広さ
1834年の地域計画図にみられるように、スワン川沿いに計画された。現在もパースの主要な地域となっている。都市のシンボルとなるスワンベルタワー、明確な街路(15~25m)、北は鉄道、南側と東側は川、西側はハイウエーとで、城壁に代わる地域を形成している。広さは東西4000m×1000mぐらい。

街の形、格子状 
スワンベルタワーから伸びた南北街路を中心軸として、200~400m間隔に走る南北街路は川に下がって傾斜する。そして、スワン川(名前は原産のコクチョウによる)と並行した4本の道路、Wellington St.、Murray St.、Hay St、St・Georges Tce St.が約150M間隔の東西軸を構成している。

イメージづくりBuilding the image
この地域の主要道路は、スワン川のそばにある、スワンベルタワーから北の中央駅の方向に延びた主要南北軸Barrack St.。そして、川と平行に4本のほぼ同じ幅員の道路がある。この約150m×300m格子状につくられた街並み構成には、自分がどのあたりにいるのか理解できる。そして、川沿いには広い庭園をがある。交差点にシティーホール、教会がある。
東西軸と主要南北軸と交差した地点から2本の東西に、車の進入を規制した人間のためのモールがある。
このように、都市のイメージの本の書かれているような、パス、エッジ、ディストリクト、ノード、ランドマークの5つの要素が構成されている。

「パースの都市の変遷」

1830年のパースの風景
風景2.jpg



大地の地盤レベル調査
地盤パース.jpg


1834年の地域計画
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1855年の地域計画
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1877年の地域計画
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1883年の地域計画
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その後の地域計画状況
現在の地図.jpg


pa-su 構造図.jpg
         北は鉄道、東と南はスワン川とで領域ができ、現在の主要街区ができている

        
PerthB.S,SwanBells.JPG
          パースのシンボルタワー,SwanBell Towar(Fremantleに行く船上から)

PerthSwanBell交差点.JPG
          Barrack St.とSt・Georges Tce St.の交差点、前方にSwanBell Towarが見える


PerthBarrackコーナー家.JPG
           南北軸の主要街Barrack StとAlf Curlewis公園との角にある建物(ノード)




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