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イタリアの広場 まえがき動機 [イタリアの広場]

【イタリアの広場】まえがき
74歳をむかえようとする今、初心に戻る。1978年頃だろうか新宿の壁装館で、今は亡き岩本博行氏(1913~1991年竹中工務店)の講演に出席した。講演の内容で、ひとつ気になったことがあった。表現・言葉は違うだろうが、要旨は「京都、龍安寺の石庭の美しさは、土塀に囲まれた枯山水、土塀の外は緑・池の庭園、低い土塀を隔てて陽と陰、この対比から生まれる美しさ」。講演の後、岩本さんに「イタリアの広場の美しさも龍安寺と同じ、高さ1.8mの堅固な土塀に代わる高い堅固な石の城壁であり、旧市街地の中央になる広場は石庭、そして城壁の外は緑の田園風景が広がる。城壁を隔てた陽と陰の対比から生まれる、同じですね。」と講演の後なので、ここまで細かくは話してはいないだろうが、そんな話をした。その後手紙を頂いたり、年賀のハガキの交信が始まった。その後、4年、5年後に竹中大工道具館(館長をされていた)を訪れたが、お会いすることが出来なかった。

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地震被害 日本とイタリア 食文化の違い  [イタリア]

《地震被害 日本とイタリア 食文化の違い》

「令和6年能登半島地震 石川県によると、1月30日の時点で、県内であわせて238人の死亡が確認されているということです。また、重軽傷者は県内全体で1055人にのぼっています。」死亡数を聞きイタリアの2009年のラクイラの地震を思い出した。当時の記事を再度見た。そして食文化の違いを感じた。そして木の文化と石の文化の違いも感じた。歴史保存地区の輪島 イタリアは石の文化と言え、前のままに修復をする。しかし日本は景色が一変するのだろうか?
2009年6月30日に輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区に指定された。

2007年の地震/輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区は、北前船の船主や船員の居住地として発展した集落である。2007年3月の能登半島地震で大きな被害を受けつつも、最も栄えた明治初期の地割を良好に残し、伝統的な主屋が敷地内の庭園や土蔵、社寺建築、石造物、樹木と共に歴史的風致を良く伝え、我が国にとって価値が高い。

能登地震が2024年1月1日に起きた。そして今日が1月18日、被災地では相も変わらずインストラーメンだ。塩分が多くて、僕は控えている。生活が落着いても、やっぱりインストラーメンを食べ続くるのだろうとも思った。

 2009年4月6日の地震から2ヶ月近くが過ぎようとしている。4/14日の報告から死亡者は5名増え、299名。仮設住宅やテント生活者は3万名。一割しか減少していない。
この地で7月8日から3日間の日程でG8サミットが開かれる。5月30日の朝日新聞の記事からは、ベルルスコーニ首相の支持率のために利用されているようにも感じられる。しかし、世界経済危機や地球温暖化がテーマにした会議だからこそ許されるかもしれない。
宿舎は、ラクイラから東に約70k離れたキエティで(西に‥リエティRieti?)、会場とはシャトルバスで結ばれる。今後の動向が楽しみである。rakuitizu.jpg


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